EMPLOYEE INTERVIEW

社員インタビュー

interview 02

ベンチャー企業で
中核を担いたい強者へ。

  • 2020年入社
    奥田 真司 (40)
    バイオマスレジン南魚沼 /
    社長執行役員
    好きなお米  : 南魚沼産コシヒカリ一択で!
    好きな日本酒 : 八海山(地元・南魚沼の銘酒)・土佐鶴(故郷・高知の銘酒)

奥田さんの役割について
教えてください。

現在は、バイオマスレジン南魚沼の社長を務めています。我々は国産のバイオマスプラスチックの製造業ですので、製造の管理から、より良い製品の開発、そして営業までサポートしています。
会社の代表として、さまざまなイベントに参加させていただいたり、地元の従業員の方が安心して働ける環境を整えたりするのも大切な役割です。

普段から全国を飛び回られていますが、
割合はどのような感じですか?

月の3分の1が外(市外、県外)に出ていて、残りの3分の2が地元(南魚沼)にいる感じです。

それは、コロナ禍になって
変わりましたか?

コロナ禍の入社なので、すでにリモートになっていました。だから、途中で変わったということはないのですが、リモートという手段がなければ、必然的にもっといろんなところに出かけないといけなかったと思うので、恐らく地元には半分くらいしかいられなかったと思います。

奥田さんは2020年5月の入社ですから
3年目ですか。
それで今は社長に
なられているわけですよね。

最初はホールディングスの執行役員で、そのあとマーケティングの社長を務めるなどいろいろやらせていただき、1年目の終わり頃にバイオマスレジン南魚沼の副社長になりました。それで今年の4月から現職です。

入社した経緯やきっかけについて
教えてください。

学生時代は、青山学院大学の陸上競技部に所属して箱根駅伝を目指しており、いわゆる体育会系でした。就職活動では、ご縁をいただいて野村證券に入社し、全国各地の支店で営業に携わり、本社の企画業務も経験しました。一つのきっかけとしては、2015年12月に、新潟支店に赴任したことです。そこで新潟と縁ができて、なかでも南魚沼のエリアに多くのお客様がいる担当を引き継いだので、週に1回は必ず南魚沼に来る機会がありました。地元のネットワークの情報から、バイオマスレジン南魚沼という会社ができて、お米からプラスチックをつくるというおもしろいことをやっている、と聞きました。その会社は将来的には上場を目指しているので、証券会社として何か手伝えることがあるんじゃないか、とご紹介いただいたのがきっかけですね。

証券マンとして、
出会ったわけですね。

そうです。いろんな話を聞くなかで、最初は、証券マンとして何ができるか、ということを考えました。しかし、途中から、バイオマスレジン南魚沼は人材がいなくて困っていて、上場を目指すには人手不足らしい、という話になり、紹介してくださった方から、「人がいないみたいだけど、外から手伝うのではなく、中のメンバーとしてやってみる気はないか」と話を振られたのが、2019年の頭くらいだったんじゃないですかね。

そのときは、どう思いましたか?
転職しようとか?

最初はまったくそんな気はなかったです。野村證券を辞めたいとも思っていなかったし、ずっといると思っていましたから。だから、話半分というか、本気で考えてはいなかったですし、証券業の仕事は不満もなければ、いろんな人と会えて楽しい仕事でした。ただ、これからの時代を考えたときに、バイオマスレジンは、本当にここでしかやっていない、すばらしいことをやっている。環境をテーマに、地元新潟のお米を活かしている。ビジネスとして興味を持ったというのが、まず一つです。もう一つは、野村證券にはたくさんの優秀な人がいます。僕が新潟支店から転勤になっても、どこからか新しい人がやってきて、滞りなく仕事が進んでいくわけで、野村證券本体には大きな影響もない。僕が辞めようが、転勤しようが。でも、バイオマスレジンは本当に人が足りなくて、全然まわっていない。もし自分がそこに入って、能力を発揮して、さらに成長して活躍することができれば、ビジネスの中心、その会社の中心でおもしろいことができるんじゃないか。僕がいないとダメだよ、という環境で仕事をする方がやりがいはあるだろうな、と思い始めました。最後の一押しは、やっぱりご縁ですかね。神谷さん※1、ナカヤチさん※2、紹介して下さった方、みなさんのいろんなご縁で、そこまで必要としてくださるなら、行ってみようかな、と。
※1 神谷 雄仁 / バイオマスレジンホールディングス 代表取締役CEO
※2 ナカヤチ 美照 / バイオマスレジンホールディングス 取締役副社長

入社する際、何を期待されていると
感じましたか?

何を評価してくれたんでしょうね…。常にお客様には真摯に対応してきました。今の会社は、いろいろな役割を一人でこなさなければならないのですが、そういう部分で、何でもうまくこなせる、例えば、技術者のようなスペシャリストを支える存在、というところじゃないですかね。

入社時は、バイオマスレジンにとって
変革のときだったと思うんですが、
そこからここまでの時間を
奥田さんの視点で話してもらえますか。

約2年半を振り返ると、人がいないということで入社させていただいて、そこから従業員だったり、パートナー企業さんだったり、仲間というか、我々を支えてくださる方々は増えました。肌感覚としては、10倍くらいのパワーをいただいている感じです。南魚沼の会社としてその周辺でだけ支えていただいていたのが、東京にホールディングスができて、みなさんが聞いたことがあるような会社さんが取引してくれたり、株主になってくださったり、サポートしてくださるじゃないですか。まだまだですけど、南魚沼の一ベンチャー企業だった頃と比べると、比べものにならないくらいパワーは増しています。

今までの人生のなかでも、
相当ドラスティックな時期だったのでは
ないですか?

はい。野村證券に入社したときもすごい変化でしたが、それを超えるくらいの濃い時間だったんじゃないかな。最初は与えられた環境でしたが、自ら動いていくうちに取り巻く環境がどんどん変化していって、本当にあっという間でした。

自分の仕事の結果が、そのまま会社の
結果に直結するわけじゃないですか。
やりがいもあるかと思いますが、
責任感やプレッシャーもかなりのものが
あると思います。
疲れたりしないんですか?

疲れますよ(笑)。疲れはしますけど、何でしょうね、あまり仕事と思っていないので。やりたくて決断したわけですし。

仕事を取り巻く環境だけじゃなくて、
ご自身も変化されているんでしょうね。

それはすごくあると思います。前職の野村證券時代は、ノルマとは言いませんが、やるべきことを与えられて、それを必死にこなす日々でしたね。今は自分でやりたい、と思っていますし、支えてくれる従業員もいて、そこの責任も背負っていますから。仕事に対する意識や感覚は、180度変わりましたね。

入社して、いい意味で驚いたことを
教えてください。

我々の会社が注目され始めていたのは知っていましたけど、入社後はその比にならないくらいどんどん注目が集まって、こういうところからも声がかかるんだ、と思ったことですね。先日も、某自動車メーカーの本社に行きましたが、日本を代表する企業の本社に行くなんて、一証券マンではありえないわけじゃないですか。また、イベントで名だたる方々とお会いしたり、南魚沼の一企業だと思って入ったのにすごいな、という驚きはありますよね。

働く環境についてはどうですか?

小さな組織が今だんだんと大きくなっているとはいえ、すごく風通しはいいし、みんな一生懸命やってくれていますし、自由にいろんなことが言い合える組織だな、と思っています。

入社後、一番嬉しかったエピソードと
失敗したエピソードについて
お聞かせください。

嬉しかったエピソードは、たくさんあるんですよ。いろんなイベントに登壇して認めてもらったり、賞をいただいたり、大きい企業と商談して契約が取れたり。ただ、そういうこともさることながら、最近はこういう風に思います。うまくいかないことも多く、でも絶対にあきらめずに、試行錯誤しながらみんなを引っ張っていこうと思ってやっているんですけど、それでも困難にぶち当たる。そういうときでも、僕はこうしたい、こうやろうと思っている、とみんなに伝えるわけです。そのときに、「わかりました。奥田さんがやろうっていうなら、僕らもやります」っていうふうに言ってくれるんですよ。契約が取れたとか、賞をもらったっていうよりも、僕が頑張るならみんなも頑張る、と言ってくれたことが一番嬉しかったですね。

リーダーとして、信頼して
認めてくれているっていうことですよね。
奥田さんは、もともと経営者になりたいと
思っていたんですか?

いいえ。なりたいとは思っていなかったですね。自分はそんなに経営者に向いているとも思っていないですし。

失敗したエピソードも教えてください。

たくさんあるんですけど、寝坊して、出張の飛行機に乗り遅れたのが一番ですかね。お昼の時間とかを削って、何とか面談の時間には間に合いましたけど。(笑)

苦労したエピソードはいかがですか?

僕自身は、製造業に携わったことがなかったので、ものをつくるということに対する理解や、知識は今も苦労しています。金融業と製造業はまったく違うので、従業員の考えていることとか、覚えなければならないこととか、ぜんぜん違います。

どうやってクリアされたんですか?

コミュニケーションですね。わからないことはわからないとオープンにしたうえで、わかる人、頼りになる人に教えてもらっています。そうすると、みんなも、僕がわかっていること、わかっていないことを理解してくれて、わからないところについてはサポートしてくれますから。わかっているふりをしてもしょうがないじゃないですか(笑)。

わからなかったことがわかる、って
楽しいですよね。
違う業界から来るって
いうのは、違う目線で見えて
いいかもしれないですよね。

その通りです。業界の方々のいろんな話を聞いて理解できることもあれば、でもそれってこうじゃないの、と疑問に思うこともあるので、そこのコミュニケーションは大事にしています。

個人として、会社で実現したい夢って
ありますか?

たくさんありますね。僕は上場させたい、と思って入ったわけですけど、今はどちらかというと、自分たちのライスレジンをどこまで広められるか、だと思っています。一般的な認知度はまだまだ低いですけど、「お米のプラスチックといえばライスレジンだよね」「環境に優しい素材ってライスレジンだよね」っていうふうに、世間の人に知ってほしい。あれもライスレジンだね、南魚沼の会社から始まっているんだよね、っていう風に、みんなが認知してくれるような時代をつくりたいな、と思っています。

いつまでに、
という目標はありますか?

2030年くらいじゃないですか。10年はかかると思いますよ。

こういう人と働きたい、
バイオマスレジンに向いている人の
イメージはありますか?

一つ目は、変化を恐れずに挑戦できる人。まだまだベンチャーですし、常にやること、やらなければならないことは変わりますし、目指すゴールはありますが、そこにいたるまでの道順は柔軟に変化するわけです。その変化を楽しみながら、チャレンジできる人は、絶対に必要だと思っています。上から与えられたことだけを淡々とこなすだけの人だと、そこの変化に対応できないんじゃないかな。自ら前向きに、楽しみながらでも挑戦できるというか、その荒波に飛び込んでいけるような、バイタリティーのある人が必要だと思うんですね。
そして二つ目は、タフじゃなきゃいけないんじゃないかと思っています。ベンチャーはどこもそうだと思うんですけど、そんなに甘い世界じゃないですし、なかなか結果が出ないこともあります。でも、あきらめずに続けていれば、いつかは勝てると信じて、やりたいことを結果が出るまで続けられるタフさ、強さは必要だと思いますね。

社会課題を解決するという部分では
どうですか?

そういう意識を持っていることは必要です。我々がやろうとしている目的やポリシーに共感してくれるというのが大前提だと思います。我々は、単純に会社を大きくして儲けようというのではなく、環境はもちろん、農業の再生などさまざまな社会課題の解決に貢献しよう、というところから始まっている会社なので。

最後の質問です。
この記事を見た人が入社したくなるような
会社のアピールをお願いします。

僕たちは、オンリーワンのことをやっています。そういう意味においては、正解もなければ、この道を先に走っている人もいないわけで。スキーに例えるなら、誰も滑っていないところを真っ先に滑れる、パウダースノーをね。誰もやっていないからこその苦労もあるけど、それ以上の楽しさがあるし、その先にはいろんな意味で、成功が待っていると僕は思っているんですよ。組織としても、一人間としても。誰もやったことがないことを、自らも成長しながら楽しみながらやって、最終的には会社も成功できて、世の中にも貢献できるという仕事は、世の中にそんなにないと思うんですよね。そのチャンスが、今ならまだあるので、ぜひ一緒にやっていただきたい。絶対後悔はしないと僕は思っています。